デスク席から(100) ありがとう、大さん
岡山県・長島のハンセン病療養所で暮らす三重県出身者の取材を始めて23年になります。
三重から訪ねる私のことを最初から気にかけて下さった方のひとりが、大台町出身の吉田大作さんでした。園では「大(だい)さん」とよばれる人気者。
台風で三重に大きな被害があり、その情報が全国のテレビで流れると、昼夜問わず電話をくれて「あんたの所、大丈夫か?」と心配してくれました。
また三重で新型コロナの流行が目立った時には「仕事とはいえ、フラフラ出歩かんように」という忠告も。
趣味はカラオケで、自室に設置したレーザーディスクで得意の演歌をたっぷり聴かせてくれました、大音量で。
私にとっては叔父のような存在で、長島へ行くと必ずお会いしていました。
そんな大さんが8月23日、91歳で旅立っていきました。私の心には、その後、ぽっかり穴があいたような状態です。
多くのものを残してくれた大さん。
まず、様々な言葉。「大ちゃんと為さん」をはじめ、三重テレビが制作した多くのドキュメンタリーで取材に協力してくれました。
その中で語ってくれたこと…
「差別はなくならないと思う。理解してくれる人がきちんと理解してくれたらそれでいい」
「故郷の墓に入りたいとは思わない。死んだらここ(療養所)の納骨堂に入りたい」
いずれも差別の厳しさを表したものでした。
また、親族とも多くの思い出を残しました。
三重県などが主催するハンセン病療養所フィールドワーク(2019年)をきっかけに、三重で暮らす親族との交流が始まったのです。
すぐに新型コロナが流行し、両者の行き来は少なかったですが、電話や手紙で中身の濃い交流を続けました。
本来ならもっと早く出会っていてもよい関係でしたが、親族が大さんの存在を知ったのは、ほんの数年前。それも、社会にはびこる偏見ゆえのことでしょうか。
私には、大さんの優しさと強さが忘れられません。
優しさと強さ…それは、家族や故郷との別れを経験し、差別とたたかってきたハンセン病回復者のみなさんに共通するものなのかもしれません。
大さんのご冥福をお祈りいたします。
編成局長(ハンセン病関連映像担当)小川秀幸